2013年10月21日月曜日

地震への覚悟──御前崎、浜名湖周辺

2013.9.26・27
【静岡県】

 近くて遠い静岡県に足を運んだ最大の目的は、大地震発生前の「御前崎の景色をこの目で見ておきたい」というものです(初訪問)。
 震災対策の現状など、被害軽減のヒントが見つかればというもので、「地震は近いぞ」と不安をあおるつもりはありません。


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 ※2日分の地図で広範囲になりました。

焼津市内の津波避難施設(Map)

 右は焼津市街にある津波避難施設ですが、付近にある学校などの避難場所に比べ、キャパの少ない施設です(現在準備中)。
 関係者の話しでは「避難場所は学校等の高いコンクリート製の建物で、ここは逃げ遅れた人の緊急避難施設」とのこと。想定の津波高は2階以下の高さらしい。
 市で確保した指定津波避難ビル、民間津波避難協力ビルでは足りないとはいえ、市街地での避難所設置は敷地確保から始まるため、おいそれと建設できないことも確かです。
 ここはモデル施設かも知れませんが、住民に避難意識を根付かせるためにも増やすべき施設と感じます。


牧之原台地(Map)


 小学生時代「牧之原台地で盛んな農業は?」の問に「お茶っ!」と答えたことを思い出し、一面広がる茶畑に足を運びます。
 昔の茶摘みは年一回なので茶摘娘が総出でしたが、現在は年に数回茶摘みの時期があるとのこと。

 静岡では何かにつけお茶を出されますが、都会の無頓着な「色が付いてるでしょ」とは違い、「お茶の国の作法」で出してくれるため、どこでいただくお茶もおいしいこと!
 生産・販売に加え、おいしい飲み方「お茶道」を伝えることが、静岡文化を広めるには最適ではないかと感じます。


御前崎(Map)

 以前から騒がれてきた東海地震は東日本大震災以降、「東海・東南海・南海連動型地震:西日本大震災」の一部と認識されるようになり、被害想定の見直しが進みます。
 不安視される東日本大震災の地殻変動の影響をマクロ的に考えようとすると、それこそ「日本沈没」のような壮大な話しになりそうですが、現在も日本列島は健在です。
 そこは切り離して考えていいと思います。

 しかし、これまでより大きな被害想定から、どう逃げるかを考える住民の意識は、東海地震が騒がれた時以上に高まっていることでしょう。
 そんな「自然への畏怖(いふ)」の記憶をたどると、これまでも人類は自然から学ぶことに加え、打ちひしがれた仲間から学んで来たのかも知れません……


中部電力浜岡原子力発電所(Map)

 御前崎の尖った地形は、三保海岸(砂が堆積した砂し)とは違い丘陵地の形状によるもので、浜岡原発はその丘陵地に建設されます。
 PR施設「浜岡原子力館」は平日で見学者は少ないも、元気なあいさつをするスーツ姿の若者集団を見かけます。
 これでは外へのPRでなく、社員研修施設に多額の予算を使うように見えます。でもそれが「原発行政」というもので、地域雇用を担う実績として残されるのでしょう。
 ですが、順調に稼働中は湯水のごとくお金を使うクセに、ひとたび問題が発生すれば電気料金に上乗せされる仕組みに納得する消費者はいないはずです。

 右は実物大の原子炉模型。燃料棒自体は大きくないが、そこから発生するエネルギーのレベル感は、わたしの理解尺度をはるかに超えている、としか言いようがない……


 東日本大震災以前は8mの津波を防ぐ計画が、震災後12m・15m・18m・22mとかさ上げされた「浜岡の壁」は、建設の真っ最中です。
 しかし、世界最大の防波堤(釜石)、同防潮堤(田老)の無残な姿を知る国民の目には、「津波を防ぐ」目的ではなく、再稼働を認めさせるための「アピール」であると映っています。
 今後さらに津波高が修正された際も、また上積みを考えることでしょう。
 そんなに大切ならもっと慎重に計画すべきですし、観光地御前崎の近くに作らなくてもと思うも、日本に安全な場所はほとんど存在しない現実があります。


新居関所(Map)

 最後の晩は浜名湖畔の舘山寺(かんざんじ)温泉泊。
 ガキの時分、母方の祖母とパッとしないロープウェイに乗った断片的な記憶があります(現存)。

 汽水湖(海水と淡水が交じる)である浜名湖は海に開いているため、江戸時代の旅では船を利用しました。
 右の新居関所にある船着き場は、「船を関所に着けさせれば通行人全員を調べられるって寸法よ」という発想のようです(対抗する抜け道もあったことでしょう)。

 元の湖口は閉じていましたが、1498年の地震(明応地震)に伴う津波で、海と通じたとされます。
 浜岡の壁はそれを防げるのだろうか?


浜名大橋


 新幹線の車窓から「浜名大橋:浜名バイパス(1978年開通)」を眺め、いつか走りたいと思うも2013年の実現まで用事のない場所でした。
 建設当時の珍しさはないが、現在もフォルムの美しさは目を引きます。

 一昨年は一色、昨年はで堪能した食のテーマ「うなぎ」を、もちろん浜松でも! と思うも、最後に持ってきたのが間違いでした。
 第一候補の旧東海道沿いにある老舗店の「休業」の札に目が点!(案内では営業日)
 郊外のため候補も限られ、慌てて物色した店にもたどりつけずにタイムアップ。
 悔しいので、高速のサービスエリアで食べましたが、満足できないものに高い金を払いむなしさが残ります。
 それは「うなぎ=浜松」という観念の古さを証明しているのかも知れない……


 帰り道で、最上級規格で作られた最新の高速道路「新東名高速道」を走りました。
 見た目からも、路肩の広さ、トンネルの大きさにゆとりがあるので、圧迫感無く走りやすい印象があります(強度も増しているのでしょう)。

 地震の備えには、流通の大動脈「東海道のバイパス」を最優先とし、各地域の防災対策の見直しは途に就いたばかりでも、迅速に動き出す様が見て取れました(地震は新幹線の代替となるリニア新幹線完成後であることを……)。
 おそらく国も自治体も、これまで日本をけん引してきた太平洋ベルト工業地の被害は免れない(被害を受けたら大混乱だが、防ぐことは不可能)との判断なのでしょう。

 自治体の財源は限られるので可能な部分からにしても、最優先は「地震・津波被害から身を守る啓蒙活動」に尽きます。
 万全な備えは不可能なので、いざというとき個人で判断する際の手助けとなる知識や情報を、事前にどれだけ周知できるかということになるのでしょう。
 この地に限らず、刻々と変化するさまざまな状況下で、国民が必要とする「生きた情報」を継続的に提供することが、国民を守る義務を果たすことにつながります。

 東海道をゆく 了

(上:中田島砂丘、下:天竜川河口の竜洋海洋公園)


 追記──自分はこの先、どこまで行けるのだろうか?

 この旅行中、昨年まで現職場で同僚だった方の悲報に接しました。
 つい先日は前職場の同僚、現職場の同僚が手術(見通しは明るい)など、続けて同年代の健康不安に接すると、「吹けば飛ぶような自信」が大きく揺らいだような気がします。
 旅行に例え、これまで南から北を目指してきた自分は、この先どこまで行けるのだろうか? と考えると、目標は「竜飛岬」と具体的に伝えておきたい気持ちにさせられます……

 年齢と共に無意識に働くブレーキと、体の要求に耳を傾けるよう心がけるしかないのでしょう。
 お互い気をつけましょう。それ以外にはなさそうです……

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