2012年10月19日金曜日

「日本最古の石」自慢──飛水峡

2012.9.27
【岐阜県】──飛騨の道 ⑤


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飛水峡(ひすいきょう)(Map)

 下呂温泉「噴泉池」の河原を流れる益田川の名称が変わり→飛騨川(→下流では木曽川)沿いに「中山七里」とされる渓谷があります。
 奇岩や怪石が数多くあるとの期待感も、何気なく通り過ぎてしまったので「飛水峡」まで足を延ばしました。


 「日本最古の石博物館」の看板を見かけ、立ち寄ったものの休館日……
 この一帯に広がる飛騨山脈は、日本で最も古いとされる岩石で構成されています。
  中でも飛騨川の礫岩(れきがん:岩片が泥・砂などと固結した岩石)に含まれる岩片の生成は約20億年前との推定から、日本最古の岩石とされています。
 それが町おこしになるかは疑問ですが、日本一は町の自慢です。

 そんな「七宗町:ひちそうちょう」は、道路脇にも「七宗=ひちそう」と正しい読み方をアピールしています。
  司馬さんは「関西圏のなまり」としますが、何と言われようが「七=ひち」としてもらわねば「町の書類は発行できかねます」くらいの主張に感じます。
  日本語表現の歴史変遷・多様さ・いい加減さと出会うことは、初めての土地での楽しみでもありますが、「読んでくれない固有名詞」を持つ自治体は各地に多くあります。
 本来の表現にこだわるのは当然でも、周知の広報費もバカにならない気がします……


四つの滝(Map)

 飛騨川沿いの金山から郡上へ向かう道の脇に、「四つの滝」というかわいらしい名のスポットがあります。
 観光客を呼べる場所ではないにしても、右の「白滝」との対面では、小さいながらもその静寂感に「これ、これっ!」と心の中で歓声を上げてしまいます。

 この一帯は国の特別天然記念物とされる、オオサンショウウオ(地元ではハザコの名)の生息地でもあります。河川改修の手が入ってないということでしょう。
 彼らの容姿では、万が一大雨などで滝から落ちてしまうと戻れないように思えますが、回り道があったりするのだろうか?

 デートスポット的ですが帰る際も駐車場は+1台程度なので、比較的手軽に「マイナスイオン&フィトンチッド」を独り占め! できる場所かも知れません。


戸隠神社(Map)


 ここは伝説(古事記)の、天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩戸(あまのいわと:宮崎県高千穂の天岩戸神社とされる)を開いた際に、飛び散った岩戸のかけらを祭る郡上市の戸隠神社です。
 高千穂の神社の説明には、天岩戸が飛んでいったのは長野県の戸隠神社とありました。
 ですがこの岩を目にした際、なるほど岩戸は飛び散ったのだからこの地にあってもおかしくないわけで、布教に伝説を利用するには絶好の造形ですから、地域を挙げて盛り立ててきた経緯が感じられます。
  そんな様子は鳥居脇の大杉にもうかがえます。地域の人たちの力によって、岐阜県天然記念物とされるまで見守られてきたのでしょう。

 いわゆる「日本はじまり物語:伝説」に対しては、懐疑的以上の否定的な見解を持っていましたが、近ごろでは、全国に広がる「国民意識の根っこ」につながる様を感じ取れるようになった気がします(年齢のせいでしょうね)。
 民俗学的な視点で宗教観を観察することは「日本人」を理解するには大切なことです。
 これまでの「切り捨てるような」姿勢ではなく、「すくい上げるような」視点で、伝説と接していこうと思い始めています……


大滝鍾乳洞(Map)

 付近の山には石灰岩が多く見られるため「○○鍾乳洞はこちら→」の看板を多く見かけます。
 地名にも「大洞:おおぼら」など、洞のつく地名を目にすることからも、その多さが想像されます。

 ここを選んだのは、このケーブルカーに乗りたかったためです(1〜2分程度ですが)。
 「東海地区最大級!」の宣伝文句でも「こんなもん?」の印象は、これまで素晴らしい「秋芳洞:山口県」「龍泉洞:岩手県」等を見ているので、仕方ないところか。

 日本列島が形作られる過程で重要視される中央構造線(日本沈没などで登場する大断層)を境に、異なる石灰岩層が鍾乳洞を作る様子を見ると(四国と本州は違う)、日本列島がまさに「パッチワーク」のような「寄せ集め」の岩盤で成立している様が感じられます。
 そんな寄せ集めの地盤の上に、単一民族(とされる)が暮らすことができるのは、辺境の地+先人のおかげなのでしょう。



国営木曽三川公園(Map)

 右は初日、岐阜羽島から高速道路に乗ってすぐ目に入った「○○大仏のような宗教施設?」的な巨大構造物で、近づくとタワーらしく、これは是非と帰りに寄りました。
 ここは「国営木曽三川公園」で、愛知、岐阜、三重(も?)3県にまたがる日本一広い国営公園とのこと。   「木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が有する広大なオープンスペースを活用し…」とはすなわち、洪水対策を施した河川敷を有効活用しましょうと、国がお金を出してくれた施設になります。
 タワーの名称は「ツインアーチ138(いちさんはち:1995年完成)」で、高さ138メートルの展望タワーです。

 あっさり誘いに乗せられ、下のような田園風景を見られる展望塔はなかなか無いと思うも、このタワー建設の意義が理解できません。
 河川敷側の景色には分かる面もあるので、どうせなら木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の合流地帯に作ればと思うも、その付近には「水と緑の館・展望タワー(高さ65m)」があるそうです。
 未見ですが、そちらの場所にこそ巨大タワー建設の意義があるように思えます。
 「作るモノ無いから、大きいの作っちゃえ!」に、まんまと引っ掛かった気がして、ちょっとガッカリです。制服のお姉さんたちも、平日でヒマそうにしていました……


 先日の東京タワーの展示で目にした「全日本タワー協議会:国内20のタワーで運営される協議会」にここも加盟しているので、「タワーをひとつ制覇した」くらいに数えておけば、そのうちスタンプがたまる(?)かも知れません……
 ちなみに「東京スカイツリー」が加盟していないのは「ツリーはNG」だったとか?
 それではちょっと了見が狭い気もしますが、ローカルなタワーが片寄せる集まりなので、加盟後いきなり「グローバル化」を迫られても困りもの、という気がしました……

 ここから岐阜羽島駅はほど近く、今回の旅行も終了となります。

 今回の旅行で印象に残ったのは、食べ物のおいしさです!
 山のものにあまり関心が向がず期待薄でしたが、一帯はおばちゃんたちに大人気の「メジャー観光地」ですから、手を抜けないのだと思います(弁当までちゃんとしていた)。
 雪深い冬の間に根気が養われるのか、性分として「手を抜くということができない人々ではないか?」と感じます。
 そんな人たちの持てなしに感激し、しかと気持ちを受け止めたことを、感謝の言葉として表すべきと思います。

 とても「おいしい時間」を、ありがとうございました!


追記
 AKB48もよく知りませんが、こちらではもっと知らないSKE48がテレビによく登場します。
 なるほど「ローカルなアイドル」をでっち上げようという魂胆だったのね、と初めて知りました……

2012年10月14日日曜日

府県よりも広い高山市──高山、下呂

2012.9.26
【岐阜県】──飛騨の道 ④


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高山(Map)

 高山市は2005年の合併で、日本で最も面積の広い市町村となりました。香川県・大阪府より広く、東京都とほぼ同じ面積ですが、92%近くは山林という土地柄です。
 岐阜県出身の知り合いのもうひと方は、「田舎度自慢では負けない!」と胸を張る上宝村(奥飛騨温泉郷周辺)出身者です。この合併で高山市出身と言えそうですが、「だからって、ド田舎が都会に変わる訳じゃないんだよ!」なんて声が聞こえそうです。

 この地域は飛騨山脈の北側に位置する(太平洋と日本海の分水界の日本海側)ため、おのずと富山県側との経済・文化交流が盛んになります。
 その土地柄の良さを感じたのが、新米のおいしさです。
 水のいい富山・岐阜のお米を食する地域なので、地産地消のプリップリ感に「うまっ!」と、目が飛び出るような至福感が味わえます。現地で是非!

 現在もガイドブックには「飛騨高山」と記され、地名のように浸透していますが、飛騨市役所は古川にあります。
 ここはご存じのように、江戸時代の城下町・商家町が残ることから「飛騨の小京都」と呼ばれ、人気の高い観光地です。
 また、海外のミシュラン旅行ガイドで「3ツ星」を獲得したためか、外国人旅行者にも必見の観光地のようです。
 旅行会社とすれば当然、世界遺産の白川郷と3ツ星の高山をセットにしたコースを設定しますから、ここも韓国からの旅行者がにぎやかになります。


 ここ高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するための代官所・飛騨郡代役所で、当時の中心地になります。
  幕府が直轄領としたかったのは、前述の神岡鉱山から産出する「金・銀の確保」ためですが、直轄領としたころには、既に生産のピークは過ぎていたようです。

 上は、事前学習より実物の印象がよかった、屋敷の梁(はり)にある「釘隠し:釘を隠すための飾り」の真向兎(まっこううさぎ)です。
 ルーツを「因幡の白ウサギ」にたどれそうな家紋があるそうです。


 古い町並みにある、店舗と酒蔵間の敷地を中庭とした「お酒のテーマパーク」のような一画です。
  きれいな杉玉(すぎたま:スギの穂先をボール状にしたもの)なので、旧来の習慣に従うものかも知れません。
 本来は蒼々とたものをつるし、枯れ色の具合から新酒の熟成の具合を想像して、飲んべえたちが舌なめずりしたそうです。
 酒好きでも旅行では車移動なので、飲み比べもできませんから、写真だけ撮って素通りです……


 古い町並みを生かそうとするさまざまな工夫を目にしましたが、もしここに暮らしたら「こんな玄関にしたい」と思った光景です。
 このツタの伸び方は、イメージしなければ誘導できません。
 今年はうまくいったのでしょうか? 「ベスト玄関賞」です。

 

 高山といえば「日本三大曳山祭」のひとつ、屋台のからくり人形(起こりは江戸時代)が有名な高山祭で、10月9・10日に屋台が出る桜山八幡宮の秋の八幡祭が行われました。
 この屋台は「動く陽明門」とされますが、日光東照宮「眠り猫」の作者と学んだ「左甚五郎」は、現在では一人でなく各地の腕自慢の工匠たちの代名詞ではないかとされています(司馬さんは代々続く「飛騨の匠」ではないかと解いている)。

 いづれにしても、この地の人々はまじめで勤勉であることは確かと感じます。
 旧上宝村出身の方も誠実で、指先の器用な方です(飛騨の匠?)。(上は高山祭屋台会館、祭りは未見)


 屋台の重さを想像できる、屋台庫前の車の道。
 さすがの気配と思うも、「道に出すまでが大変なのよ!」の声が聞こえそうな気がします……


 遠くから尖塔部を目にして立ち寄った、高山市図書館「煥章館」です。
 明治初期、同地にあった小学校「高山煥章学校」の再現だそうで(フランス風建築とのこと)、匠たちは新しいもの好きで研究熱心だったのかも知れません。
 いま見ると、尖塔部は屋台の上部に似ている気がします。

 上の外観よりも、図書館にお金を掛ける自治体の姿勢に感心させられました。
 雪深い季節が長い場所柄ゆえ、屋内で快適に過ごせる公共の場を求める声にきちんと応えています。
 施設内容は詳しく分かりませんが、冬場を屋内で過ごせるのは温泉だけでなく、文化施設もあるならば、「雪の季節も案外楽しく過ごせるかも?」と思えてきます……


 この日の昼食は話しの種に「飛騨牛を食べる!」と、気合いを入れて向かった店の営業は夜だけで入れず、次の店は「休業」と悪い日にぶつかり、途方に暮れて走りながら目に入ったのが、飛騨高山美術館の案内でした。
 値段なりにおいしくいただきましたが、大ふんぱつして食べた近江牛のおいしさとは比較になりません。
 思うにそれは価格の差=肉のランクの差と思われ、各地の最上級とされる肉の食べ比べをしたなら、きっとどれも甲乙つけられないおいしさなのでしょう。
 一度そんな食べ比べをしてみたいものです……

 アフターコーヒーは一服できるガーデンに移動すると、北アルプスの笠ヶ岳・穂高岳の稜線(りょうせん)がクッキリと広がります。
 そんな景色を眺めながらの一服は格別です(煙草じゃなくて、空気を味わえよ!)。
 ガキ時分は、神奈川県大山の山並みを見て育ちますが、北アルプスの険しい稜線を見て育った人には、甘っちょろいと言われそうな気もします。でも人が育つ環境はさまざまで、人格形成を支えてくれた郷土の比較はできません。

 この美術館は、ガラス工芸品やアール・デコ(装飾品)の展示なので、食事だけでゴメンナサイ。
 駐車場の木々が色づき始めており、標高の高い地域の季節変化は足早のようです……


下呂温泉(Map)

 有馬温泉、草津温泉とともに「日本三名泉」とされます(草津温泉行かなきゃ!)。
 温泉街独特の「ほっこり感」はありますが、道が狭く、傾斜地のため、浴衣・ゲタでの散歩には向かない気がします(伊香保はどうするの? と言われそう)。


 ならば浴衣に運動靴で、湯治客の注目を浴びながら露天風呂に入ろうではないか!
 ここは、益田川の河原にある「噴泉池」とされる露天風呂で、湯だまり以外に何もない(脱衣所・風呂を仕切る壁もない)混浴も勝手にどうぞの無料施設。
  そこはサルが勝手に入る温泉のような「ワイルドさ?」で、ごらんのように駅前通りの橋から丸見えです(何枚も写真撮られたので、見かけたら教えてください)。
  2010年から男女とも水着の着用が義務付けられますが、じいさんたちの着替えの様子は公然わいせつ罪的な姿(全裸)だったりします。
 「見せようとしてないんだから、見るヤツが悪いんじゃろ?」と、当たり前のように自然の姿で仁王立ちです(その姿が丸見えなの!)。
 ここに入るために海パンを持っていきましたが、実に気持ちいい!
 裸で人の注目を浴びるためか、入る勇気を持てない連中への優越感なのか、気持ちがスカッとして「ざまあみやがれ!」という気分です。

 橋の歩道には多くの手形が埋められていて、駅側の一番目に「きんさん、ぎんさん(名古屋市生まれ)」の手形がありました。
 驚きを含めお二人の姿が思い浮かんだことから、手形を残す意義を再確認しました……


 肌が「トゥルッ トゥルッ!」になるような泉質をアピールできる施設ゆえ、これまで守られてきましたが、近年下呂温泉全体の温泉噴出量低下から、維持管理が難しくなっているそうです。入りたい方はお早めに!
 上は最初に温泉がわいたとされる「温泉寺」。

 地図で関心を引かれたのが、「上呂」「中呂」とセットで「下呂」があるということです(考えてみればありそうですが)。
 おそらく「呂」は、川の流れの速い「瀬」のような意味で、飛騨川の流れの速さを表しているようです。

 さぁ、次は草津温泉を目指しましょう!

2012年10月10日水曜日

鉱山開発の功と罪──神岡、古川

2012.9.25
【岐阜県】──飛騨の道 ③


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白山(Map)


 前日目にできなかった白山の姿を求め、直下にたたずむ白水湖へ(ダム湖)。
 水辺からは望めませんが、途中の道からチラッと見えました。山の名称は不明ですが白山連峰と思われます。
 湖畔に「白山登山道」の案内があり、ここからだと直なので険しそうですが、10人程度のグループが支度をしています。お気をつけて……


神岡:スーパーカミオカンデ(Map)

 実物の見学はできずとも、どんな場所にあるのか一度訪れたいと思っていました。
 内部見学できるのは「GEO SPACE ADVENTURE:地中1,000mの探検イベント」だけで、本年は7月14日・15日に開催されましたが、抽選の倍率はかなり高そうです。
 下は道の駅に作られた模型ですが、お近づきになれた気がするし、現物内部をイメージする助けとなります(ウォ〜と声を上げてしまいます)。


 ここは、旧神岡鉱山内に東京大学宇宙線研究所が建設した、ニュートリノ検出装置です(カミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略)。
 ニュートリノとは、素粒子(物質を構成する最小の単位)のひとつで、質量がとても小さいため確認が困難とされていました。
 1987年大マゼラン星雲の超新星爆発で生じたニュートリノを世界で初めて検出し、その功績により2002年小柴昌俊先生はノーベル物理学賞を受賞します。
 当時はカミオカンデという第一世代の施設でしたが、今後は現行の20倍規模のハイパーカミオカンデ構想があるそうです。

 以前、分からないながらも「科学朝日:現在廃刊」を、ワクワクしながら読んでいたことを思い出します……


 この鉱山は明治期から三井組(三井金属の前身)により、近代的な大規模採掘がされたためか、Wikipediaやその他のサイトにも三井系の力が及んでいるようで、まるでロマンのない記述しか目にできません。
 ここでは今回の旅の書、司馬遼太郎『街道をゆく 29』(飛騨紀行)の表現をお借りします。

 マルコポーロの『東方見聞録』で「黄金の国チパング」として世界の注目を集めた時代、「日本では金を拾っていたのである」(省略あり)。

 当時は鉱山開発の技術はなく、観光施設などで目にする「川砂から砂金を見つけよう!」的な手段で、「黄金の国」のイメージを作り上げたことになります。
 鉱山開発時点では、金・銀・銅が関心を集めますが、取り尽くした後に、まだ亜鉛・鉛があると開発を進める過程で、公害問題を起こすことになります。

 目の前は日本海側に流れ込む神通川で、下流域にカドミウムが原因の、富山「イタイイタイ病」とされる大規模な公害病を引き起こします。
 もちろん三井金属のサイトには記述は見当たりませんし、探す気にもなりません。
 その点を司馬さんは「あたらしい方法は、公害をともなった。というより、公害を封じこめるまでの技術体系をもっていなかった。」と冷静に表現します。
 震災の原発事故も、過去(公害被害)に学ぶ姿勢が欠けていたために、手に負えない事態を生み出したということになるのでしょう……

 
 入れずともスーパーカミオカンデへの入口を見つけたいと、道の駅のお姉さんに教えてもらった「東茂住」で、工場施設の交通整理のお兄ちゃんから「トンネルはもっと手前」と聞き、大きな「宇宙科学最先端の町」の看板がある集落のお寺に車を止めます。
 『街道をゆく』には、上の鐘楼がある「金龍寺」は神岡鉱山を開いた茂住宗貞(もずみむねさだ)の屋敷跡とあります(事後確認なので、このお寺に引かれた理由を納得)。
 右の赤い屋根の上の施設が、スーパーカミオカンデへの入口ではないか? との推測に満足してこの地を後にします……


古川(Map)

 多くの人は飛騨の名から「高山」を想起すると思いますが(竜鉄也『奥飛騨慕情:1980年』の人はいませんよね?)、現在では飛驒市役所は古川にあり、高山は高山市に区分されます。
 古代飛騨地方の中心はこの地とされ、飛騨国府(国の機関が置かれた地)の駅名は現在も残ります(国府の遺跡は発見されていない)。


 この地には縄文時代中期(約5000年前)の遺跡が多く発見され、5世紀ころには大和政権の支配下に入り、古墳が築かれたそうです。
 しかし特産物は特になく納税できないため、品物の替わりに都の造営工事に携わる人足を差し出し、建築・木工に携わる職人が世代を重ねることから、「飛騨の匠」が生まれたとされます。


 町の一角には現在も水路が残り、周囲に古い町並みの景観も保存されるので、人気の高い地域のようです。
 町を愛する意識から守られたであろう、町屋的建物や門前の飾りなどからは、この地で生活する人たちの襟を正した暮らしぶりがうかがえるような気がします。


 古川では通りに面した玄関先を「キャンバスと考えているのか?」と思えるほど、さまざまな趣向を凝らしているので、見て歩くだけで愉快になってきます。
 上の、まん中の柱だけ赤く塗る演出は、前面に赤い車を配することを含めた意匠なのでしょう。やるならここまでやらないと、というアピールです。
 新しいデザインは、シックでも浮いてしまうようで、やはり伝統的な建物に「ひと工夫」のアピールが印象に残ります。

 大きな蔵は維持管理も大変でしょうが、その大きさの分だけ町では名士としての存在感を示すことができるのでしょう。ならば、手入れは欠かせないものになります(ここは酒蔵)。
 この町のかつての豊かさは、神岡鉱山の恩恵だったことでしょう。

 付近を流れる宮川では、「やな:木や竹で作った傾斜のあるすのこ状の台」で川をせき止めて魚を捕る「やな漁」が行われます。
 テレビなどでは、やなの上でアユなどがピョンピョン跳ねている絵を見るのですが、どこにも見当たりません。
 ずっと設置してあれば、魚だらけという気もしますが、素早く捕らないと流れに戻ってしまうのかも知れません……


追記──iPS細胞研究の第一人者、山中先生がノーベル賞を受賞しました。

  選考委員に「革命的研究」とまで言わしめた研究は、まさに「夢が広がる」可能性に満ちています。
 ですが彼は、まだ何も成果を生み出していないと、一刻も早く患者の声に応えたい心の焦りを口にします。
 目標である人類全般の助けとなることを夢見ながらも、まったく新しい技術だけに、研究費を提供してくれたスポンサーへの恩返しのためにも、早期の特許取得が直近の課題なのかも知れません。
  ちょっと現実的過ぎましたが、「一日早ければ、何千人もの命を救える!」の使命感に突き動かされているとストレートに表現するところに、大学では「医学部ではなくラグビー部」とされた体育会系の分かりやすさがあり、応援したい気持ちにさせられます。

2012年10月7日日曜日

世界遺産の力──五箇山、白川郷

2012.9.24
【富山県・岐阜県】──飛騨の道 ②

 この日は郡上八幡から、東海北陸自動車道を北上します。この地域への関心はあっても、富山へ抜ける高速道の開通後と思っていました(2008年全線開通)。
 山間地に高速道を通すには「トンネル+高架橋」のぜいたくな道となり、とても走りやすいも、長い坂が多いので速度に気を配る必要があります。
 数多いトンネルの中でもやたらに長かった「飛騨トンネル:10,710m」は、国内3位の長さがあります。


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五箇山 上梨地区(Map)

 ここは富山県になり、民謡『こきりこ節』(デデレコデン♪)の伝わる地で、右の白山神社にて「こきりこ祭り」が行われます。

 白山神社はすぐ近くの白山で起こった白山信仰に由来し、古代から山を御神体とした原始的な山岳信仰が、奈良時代修験者たちによる山岳を修験の霊山とする活動から形作られます。
 白山権現は、山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神ですが、明治期の神仏分離より白山神社とされます。
 山を隔てるも距離の近い曹洞宗大本山永平寺(福井県)では、白山権現を寺の守護神・鎮守神としています。

 漢字を並べ固いことを書きましたが、この写真で伝えたかったのは「神社もかやぶき屋根なんだぁ〜」と、冬の雪深さを感じた印象です。


 上はかやぶき屋根の半分だけふき替えた様子。
 地域の協力が必要な作業なので、人手と相談しながら「今年はこの屋根の半分」「来年は隣家の傷んだ部分」などと、屋根の傷み具合を示すパッチワークになります。
 この模様は訪れた人たちに「なんでだろ〜?」と、考えてもらう格好のアピールとなることでしょう。


 左は、地盤の流動化で浮き上がったのではなく、計画的に作られた消火栓で土台は1m程度あり、そこまで雪が積もるようです。
 雪国での生活経験がない者はこれを見ただけで「ゴメンナサイ、わたしはここでの生活は無理です」と、白旗を上げてしまいます……

 右は、かつて加賀藩の流刑地牢として使用された施設の復元(室内は三畳程度か)。
 牢屋ももちろんかやぶきで窓もなく、左下に見える柱の穴が食事を差し入れる窓とされます。


五箇山 菅沼地区(Map)


 道路からチラッと目にした第一印象は見下ろしたせいか、小びとが暮らす「お伽の国」のようでした。
 合掌造りの家々を囲む田んぼは、まさに黄金色に輝いており、収穫期の安堵(あんど)が感じられます。
 こんな絵こそが「桃源郷の姿か?」と、シビレました。

 右の絵をしゃがんで撮る際に、シャッターを頼まれ「このアングルがいいよ」と、ひざまずいて若い娘2人の写真を撮りました。よろこんでくれればいいのですが……

 ここの観光用施設には驚きです。丘の上を造成して駐車場と広場を作り、そこからエレベーターで地中にもぐり、トンネルを通り合掌造りの集落に向かいます。
 道路が近く音は聞こえるも、余計なモノが目に入らず「集落のひっそり感」を堪能できるので、協力費名目の駐車料金500円も納得です。
 世界遺産だから実現できた施設は、地元を愛する気持ちをしっかりアピールしています!

 下は、以前橋のない川を渡るためのカゴを復元したもの。



白川郷(Map)


 前述の五箇山に比べるとここのにぎわいは「さすがメジャー級世界遺産!」と驚きます。
 この夜、宿で一緒になったご夫婦に「集落内に駐車場は?」とたずねられ、同じ思いだった自分の意識変化を伝えました。
 集落内の駐車場を探すつもりで、集落に入る直前の信号で停止します。
 停車中に集落外の駐車場に誘導する看板と、集落の雰囲気を目にし、場の空気を感じたのでしょう、信号が変わってから慌ててウインカーを出し集落外へ向かいます。
 それが正解であることを、集落内を歩く側となって納得します。「ここを車が走るのはイヤだなぁ」と……

 右は、鐘楼・本堂(奧)共にかやぶきの明善寺。


 そもそも合掌造りの家屋が必要な五箇山や白川郷の豪雪地帯に、どうして人が暮らし始めたのだろうか。

 人里離れた地には必ず「平家の落人(おちうど)伝説」が伝わるが、この付近も隠れ家にふさわしい地です。
 白川郷の名が認識されたのは平安時代後期(1100年代)で、平家滅亡(1185年)と同じ年代になります(こきりこ節のいでたちや楽器には、平氏由来の印象を受けます)。
 江戸時代中頃、鉱物資源に目を付けた幕府の開発目的により管理下とされ、五箇山では塩硝(火薬原料の硝酸カリウム)の秘伝製法(雑草と蚕の糞で抽出する等)が確立されます。
 そんな家内工業が広まったころから、合掌造りの家が並び始めたとされます。
 豪雪地帯ですから、耕作以外の収入源がなければ生活できませんが、生活は悪くなかった印象を受けました。


 それにしても、メジャー世界遺産は人気があります。
 今どき中国からの観光客は皆無でも、韓国からの人が多いことに驚きました。
 韓国の人は冷静で、熱くなっているのは選挙アピールに領土問題を担ぎ出した大統領と、「日本たたき」を口実に、国への不満を晴らそうとする中国の人だけであることが、山間部にある世界遺産の地からよく見えてきます。
 そんな外交駆け引き(宣伝活動)にお金をかけるより、世界の人から称賛される文化遺産を、よりよい環境で見てもらえることに使うべきと、この地で感じます。

 韓国の人にとってこの情景というのは、とても心に響く絵であるらしく、市民レベルで相互理解を広めていくことは可能であると実感することができます。
 やはり相互理解の糸口は、市民交流しかないのでしょう。


白山スーパー林道(Map)

 「なぜ林道を走るのか?」と問われれば「そこに林道があるから」と答え、「何か用事でも?」には「ただ、走るために」などと、バイクで意気込んで向かったころを思い出しました。
 現在では「もうここを走るチャンスは無いかも」が正直なところです。
 ここは観光用に整備された有料道路(途中で引き返しても3,150円もする)で走りやすいのですが、道半ばでガケ上と谷底を目にして怖くなっちゃいました。
 紅葉の季節には絶景が広がるでしょうから、大混雑するのかも知れません。

 もうひとつの目的である「白山を近くで見たい!」は、雲に阻まれかなわず……
 料金所のおばちゃんは「反対の料金所手前でUターンすれば片道料金だから」と教えてくれましたが、時間もないので右の「ふくべの大滝」で引き返します。
 「だから何しに行ったの?」「走りたかっただけじゃ、ダメ?」



平瀬温泉(Map)

今回の旅行では、宿の料理に期待するものは無く(失礼!)、どこも安さを基準に宿を探したため、白川郷から15分程度の平瀬温泉を選びました。
  午後5時ごろの到着でも山間部にある宿の室内は薄暗く、通された部屋の照明をつけると、足元に右写真の飾られた布団が敷いてあり、仰天です!
 布団の上に掛けられていたのは、花嫁衣装です。
  このような晴れ着を間近で目にすることはないので、まじまじと眺めさせてもらいましたが、ここにもぐり込んで寝るわけにもいかず「はて、たたみ方が分からない!」……

 上に置かれた色紙の印象通り、若だんなは繊細な感じの方なのであまり突っ込めませんでしたが、料理にはきめ細やかな手が掛けられていて、こんな山奥で!(失礼)のもてなしに驚きました(料理の写真を撮る習慣がないものでスミマセン)。

  翌朝、彼の母親らしき迫力ある女将(?)が、「これから『どぶろく祭り』の準備で出払うので、ビール代だけもらえませんか?」と、祭りモードで迫ってきます。
 「部屋の鍵はカウンターに置いといて」と、慌ただしく出て行っちゃいます。
  白川郷付近では、いわゆる「密造酒」である「どぶろく」の製造が文化として認められています。
  そりゃあ、客そっちのけで気合いが入るのも当然ですし、この土地の「活力源」でしょうから、酒は飲まずともいい時に訪れたと……


追記──大滝秀治さんが亡くなられました。

自分としては、映画『あなたへ』の感想で余計なことを書いたと悔いています。
高倉健さんのNHKドキュメンタリーで、健さんが大滝さんとのシーン終了後に涙を流していた姿が忘れられません。

ありがとうございました。

2012年10月3日水曜日

Last Frontier 岐阜県──関、郡上八幡

2012.9.23【岐阜県】──飛騨の道 ①

 岐阜県の皆さま、ご挨拶が遅くなりました。
 海や島好きなので、海に面していない土地は敬遠がちで、以前から「あれ、岐阜県だけ歩いてないかも?」と思いつつも、ようやく47都道府県最後の「未踏の地」に立ちました。岐阜羽島の地です……


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 新幹線岐阜羽島駅の第一印象は、1970年日本万国博覧会(大阪万博)へ向かう際、ひかり号通過待ちの間に眺めた田園風景に「何で田んぼの中に駅があるのか?」というものです(当時は最寄りの新横浜駅もこだましか停車せず、田んぼに囲まれていました)。
 現在ではだいぶ町らしい姿に見えますが、その岐阜羽島駅に降り立つとは、想像したこともありませんでした(だって、用事ないもん)。
 岐阜県出身者の知り合いは二家族あり、その一家族はこの近くのためあまり悪く言えないので、この辺にします……


関(Map)

 関市は濃尾平野北端に位置し(本市のV字の形状は市町村合併の結果)、古くから砂鉄・石炭・水に恵まれる土地柄を生かした刃物産業で栄え、ドイツのゾーリンゲン(Solingen)、イギリスのシェフィールド (Sheffield) と並び、世界の刃物3Sとされます。

 この町は「うなぎ」でも有名で、なるほどおいしくガツガツいったせいか胸がやけ、「うなぎのあぶらのせい?」と、褒め言葉より体の不調が先に出る情けなさ……
 刀匠(火と向き合う刃物職人)に好まれたことから、うなぎ料理を出す店が増えたとの説明は、すんなりと受け入れられます。
 愛知県一色産のうなぎを使用(昨年訪問)とありますが、産地よりここの方がおいしいと感じたのは、汗して働く人たちが求める「辛めの味」が好みのせいでしょう。

 丼と一緒に出された赤だしのみそ汁に、豊橋出身の「先斗町の彼」が思い浮かびました(赤だしは名古屋圏が中心)。味覚はきっちり記憶と連動するようです……


 円空さんと親しまれる僧侶をご存知か?(岐阜羽島駅前にモニュメントがある)
 江戸時代の僧侶で、全国に木彫りの「円空仏」と呼ばれる仏像を残します。
 以前テレビで、この近所の家には「家宝」として円空仏が大切に守られていると、「庶民と共に」の信念で活動された様子を知りました。
 関市円空館の、繊細で素朴な木彫り彫刻の仏像に接すると、飾りっ気の無さには人の心を開かせる力があると感じさせられます(上は彼の作品ではない)。

 彼は各地で山岳修行する修験者で、一体でも多くの仏様を広めたい思いからか、装飾を廃した少ないが力強い線で掘られた仏像が、人の心をとらえるようになります。
 信仰心が純化した「簡素な美しさ」は、西洋画家のルオーを想起させるも、円空さんの素晴らしさは生涯で12万体とされる仏像を彫り、広め歩いたことにあります。


 関市は「長良川の鵜飼い」が有名で、岸には鵜飼い船が並びます(薪をたく夜の催し)。
 そんな場所でもアユ釣り(?)を認める姿勢は、自然の豊かさと揺るぎない「鵜匠(うしょう)の自信」とも受け止められます。


郡上八幡(Map)


 8月のお盆期間中に4日間徹夜で踊る「郡上おどり」で有名な郡上八幡には、「水の町」の印象を受けました。
 もちろん生活に必要な水も流れますが、冬の雪深い地域に欠かせない「流雪溝」や、木造家屋が並ぶため「防火用水」の性格を持ち合わせます。

 湧水や山水を引き込み、高低差をつけ段々に仕切られた水おけはご存じと思います。
 一番上が飲料水、次の段は食品洗い、下段は食器などの洗浄に使われ、流れ出たご飯つぶなどの細かい残飯は下の池や流れの鯉や魚のエサとなる、というシステムです。
 それこそ「エコな暮らし」として、称賛すべき「ライフスタイル」いえるものですが、台所と一体なので屋内にあり、外からは見られません。

 右は、町中を流れる谷川を水路が横断する様子(水路の立体交差)。

 家の脇を流れているのだから、毎日遊んでいるだろうと思うも、水遊びは飽きないことを知るだけに、こちらも飽きずに眺められます。
 小さなビニール袋に水を充てんし、高く投げ上げ「大爆発!」と破裂させるとばっちりを浴びそうになります。
 流体の「つかみ所のない魅力」に感心を持って、理科に興味を抱いてくれよな!

 いまの季節は水路につながる絶好の遊び場所ですが、この路地には冬場の雪を運ぶ大切な通路としての役割があります。
 平地が狭いため広い幅が取れないようですが、逆に広いと雪が積もり通りづらくなることも考えられます。

 それが正しいか自信はありませんが、そんなふうに、土地の人々の暮らしを季節ごとに想像することはとても楽しい事ですし、ふとした会話で「正解」「誤解」から話しが膨らんだりします。


 山が迫る市街地ながら、どこからも目にできる郡上八幡城の天守閣(左)は、日本最古(築60年以上)の木造再建城(コンクリート製の再建とは違う!)が自慢とのこと。
 ここの展望からは、平地の狭い土地柄が実感できるので、殿様も領民をないがしろにできない覚悟を持てたのではないか? と思ったりしました。


 宿で「郡上おどり」の講習会が開かれています。
 正面の女性は、ちゃんと踊りすぎでサクラのようにも見えますが、このような地元芸能の披露・共有は大切な文化交流です。
 目にできず残念な、温泉地を回る旅芸人一座の公演(は旅行者側の欲する表現で、主催者は「大衆演劇」とします)もあり、地域活性に力を合わせる様子に活気を感じます。

 夜、静かな部屋に、長良川鉄道を走る1両編成列車の走行音「トトン、トトン、トトン」が聞こえます。音はかなり長く続くので、追いかけながら眠りについたようです……

 地元テレビ局の天気予報で岐阜県は東海三県とされていたので、東海に含めました。
 名古屋を中心に考えれば理解できますが、でも「静岡は東海ではないんかい?」。
 「ヤツらは、東京を向いている!」とか、あるのかも知れません……


追記──『梅ちゃん先生』が終了しました。

 何かを成し遂げたり、偉人伝ではないものの、身近に感じられる主人公や登場人物たちに、一喜一憂できることが「朝ドラ」の使命とされるようなので、「楽しめました」でいいのでしょう。
 とにかく堀北真希ちゃんが可愛らしく、線は細いながらも主役を張れることを実証したので、ここからが彼女の第2幕の始まりです(うまくないからいい、などの声も…)。
 デビューが若かったため、何年も前から知っていますが、まだ23歳! 楽しみです。