2013年10月21日月曜日

地震への覚悟──御前崎、浜名湖周辺

2013.9.26・27
【静岡県】

 近くて遠い静岡県に足を運んだ最大の目的は、大地震発生前の「御前崎の景色をこの目で見ておきたい」というものです(初訪問)。
 震災対策の現状など、被害軽減のヒントが見つかればというもので、「地震は近いぞ」と不安をあおるつもりはありません。


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 ※2日分の地図で広範囲になりました。

焼津市内の津波避難施設(Map)

 右は焼津市街にある津波避難施設ですが、付近にある学校などの避難場所に比べ、キャパの少ない施設です(現在準備中)。
 関係者の話しでは「避難場所は学校等の高いコンクリート製の建物で、ここは逃げ遅れた人の緊急避難施設」とのこと。想定の津波高は2階以下の高さらしい。
 市で確保した指定津波避難ビル、民間津波避難協力ビルでは足りないとはいえ、市街地での避難所設置は敷地確保から始まるため、おいそれと建設できないことも確かです。
 ここはモデル施設かも知れませんが、住民に避難意識を根付かせるためにも増やすべき施設と感じます。


牧之原台地(Map)


 小学生時代「牧之原台地で盛んな農業は?」の問に「お茶っ!」と答えたことを思い出し、一面広がる茶畑に足を運びます。
 昔の茶摘みは年一回なので茶摘娘が総出でしたが、現在は年に数回茶摘みの時期があるとのこと。

 静岡では何かにつけお茶を出されますが、都会の無頓着な「色が付いてるでしょ」とは違い、「お茶の国の作法」で出してくれるため、どこでいただくお茶もおいしいこと!
 生産・販売に加え、おいしい飲み方「お茶道」を伝えることが、静岡文化を広めるには最適ではないかと感じます。


御前崎(Map)

 以前から騒がれてきた東海地震は東日本大震災以降、「東海・東南海・南海連動型地震:西日本大震災」の一部と認識されるようになり、被害想定の見直しが進みます。
 不安視される東日本大震災の地殻変動の影響をマクロ的に考えようとすると、それこそ「日本沈没」のような壮大な話しになりそうですが、現在も日本列島は健在です。
 そこは切り離して考えていいと思います。

 しかし、これまでより大きな被害想定から、どう逃げるかを考える住民の意識は、東海地震が騒がれた時以上に高まっていることでしょう。
 そんな「自然への畏怖(いふ)」の記憶をたどると、これまでも人類は自然から学ぶことに加え、打ちひしがれた仲間から学んで来たのかも知れません……


中部電力浜岡原子力発電所(Map)

 御前崎の尖った地形は、三保海岸(砂が堆積した砂し)とは違い丘陵地の形状によるもので、浜岡原発はその丘陵地に建設されます。
 PR施設「浜岡原子力館」は平日で見学者は少ないも、元気なあいさつをするスーツ姿の若者集団を見かけます。
 これでは外へのPRでなく、社員研修施設に多額の予算を使うように見えます。でもそれが「原発行政」というもので、地域雇用を担う実績として残されるのでしょう。
 ですが、順調に稼働中は湯水のごとくお金を使うクセに、ひとたび問題が発生すれば電気料金に上乗せされる仕組みに納得する消費者はいないはずです。

 右は実物大の原子炉模型。燃料棒自体は大きくないが、そこから発生するエネルギーのレベル感は、わたしの理解尺度をはるかに超えている、としか言いようがない……


 東日本大震災以前は8mの津波を防ぐ計画が、震災後12m・15m・18m・22mとかさ上げされた「浜岡の壁」は、建設の真っ最中です。
 しかし、世界最大の防波堤(釜石)、同防潮堤(田老)の無残な姿を知る国民の目には、「津波を防ぐ」目的ではなく、再稼働を認めさせるための「アピール」であると映っています。
 今後さらに津波高が修正された際も、また上積みを考えることでしょう。
 そんなに大切ならもっと慎重に計画すべきですし、観光地御前崎の近くに作らなくてもと思うも、日本に安全な場所はほとんど存在しない現実があります。


新居関所(Map)

 最後の晩は浜名湖畔の舘山寺(かんざんじ)温泉泊。
 ガキの時分、母方の祖母とパッとしないロープウェイに乗った断片的な記憶があります(現存)。

 汽水湖(海水と淡水が交じる)である浜名湖は海に開いているため、江戸時代の旅では船を利用しました。
 右の新居関所にある船着き場は、「船を関所に着けさせれば通行人全員を調べられるって寸法よ」という発想のようです(対抗する抜け道もあったことでしょう)。

 元の湖口は閉じていましたが、1498年の地震(明応地震)に伴う津波で、海と通じたとされます。
 浜岡の壁はそれを防げるのだろうか?


浜名大橋


 新幹線の車窓から「浜名大橋:浜名バイパス(1978年開通)」を眺め、いつか走りたいと思うも2013年の実現まで用事のない場所でした。
 建設当時の珍しさはないが、現在もフォルムの美しさは目を引きます。

 一昨年は一色、昨年はで堪能した食のテーマ「うなぎ」を、もちろん浜松でも! と思うも、最後に持ってきたのが間違いでした。
 第一候補の旧東海道沿いにある老舗店の「休業」の札に目が点!(案内では営業日)
 郊外のため候補も限られ、慌てて物色した店にもたどりつけずにタイムアップ。
 悔しいので、高速のサービスエリアで食べましたが、満足できないものに高い金を払いむなしさが残ります。
 それは「うなぎ=浜松」という観念の古さを証明しているのかも知れない……


 帰り道で、最上級規格で作られた最新の高速道路「新東名高速道」を走りました。
 見た目からも、路肩の広さ、トンネルの大きさにゆとりがあるので、圧迫感無く走りやすい印象があります(強度も増しているのでしょう)。

 地震の備えには、流通の大動脈「東海道のバイパス」を最優先とし、各地域の防災対策の見直しは途に就いたばかりでも、迅速に動き出す様が見て取れました(地震は新幹線の代替となるリニア新幹線完成後であることを……)。
 おそらく国も自治体も、これまで日本をけん引してきた太平洋ベルト工業地の被害は免れない(被害を受けたら大混乱だが、防ぐことは不可能)との判断なのでしょう。

 自治体の財源は限られるので可能な部分からにしても、最優先は「地震・津波被害から身を守る啓蒙活動」に尽きます。
 万全な備えは不可能なので、いざというとき個人で判断する際の手助けとなる知識や情報を、事前にどれだけ周知できるかということになるのでしょう。
 この地に限らず、刻々と変化するさまざまな状況下で、国民が必要とする「生きた情報」を継続的に提供することが、国民を守る義務を果たすことにつながります。

 東海道をゆく 了

(上:中田島砂丘、下:天竜川河口の竜洋海洋公園)


 追記──自分はこの先、どこまで行けるのだろうか?

 この旅行中、昨年まで現職場で同僚だった方の悲報に接しました。
 つい先日は前職場の同僚、現職場の同僚が手術(見通しは明るい)など、続けて同年代の健康不安に接すると、「吹けば飛ぶような自信」が大きく揺らいだような気がします。
 旅行に例え、これまで南から北を目指してきた自分は、この先どこまで行けるのだろうか? と考えると、目標は「竜飛岬」と具体的に伝えておきたい気持ちにさせられます……

 年齢と共に無意識に働くブレーキと、体の要求に耳を傾けるよう心がけるしかないのでしょう。
 お互い気をつけましょう。それ以外にはなさそうです……

2013年10月14日月曜日

谷間で汽笛を聞きながら──大井川鉄道

2013.9.25
【静岡県】


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 昨晩泊まった寸又峡温泉は、近くの温泉がダム建設で水没するため1962年に開かれ、無色透明ながら「トゥルットゥル」のお湯を楽しめます。
 この地は1968年の金嬉老事件(きんきろうじけん:武装犯が旅館の宿泊客らを人質に籠城)で、不本意ながら注目されました(耳にしたが記憶にない)。


千頭(ちず)駅(Map)


 千頭駅は、大井川鉄道の終着駅・南アルプスあぷとラインの始発駅で、現役のSL転車台(ターンテーブル)もあり鉄道マニアにはたまらないようで、山間地駅前の活気は両鉄道人気おかげですから、ちょっとビックリします。
 上のあぷとラインは、水力発電所建設用トロッコとして建設され、一部区間で国内唯一のアプト式機関車(歯車をかみ合わせて坂を上る)が日本一の急勾配を走ります。
 予定では南アルプスあぷとライン終着の井川駅まで行くつもりでしたが、プラス数時間の山道は無理の判断に意欲の衰えを感じます……(以前は先を考えず挑んだのに)


塩郷の吊橋(Map)

 近ごろ高所は怖いくせに、なぜか「ここは大丈夫そう」とわけの分からん自信を抱き、往復渡りきります。
 大井川に架かる最も長い吊り橋(220m)で、手前から、民家、道路、線路、大井川を渡ります。
 足下の民家側にすれば「領空侵犯」になり、昔は重要な生活道で協力的としても、現在は大丈夫なのだろうか。

 ここからSLを狙えば迫力がありそうですが、風向き次第では煙から逃げ場がありません。
 奧に米粒のように見えるご夫婦と橋の途中ですれ違い、互いにかけ合ったエールが仲間の励ましとして響くようで、橋を降りた道路で走り去る彼らの車と手を振り、無事を確認しあったりします。
 そのご夫婦は、非日常体験の共有感が親密さを高めたようですが、いさかいの火種にもなりそうですから、オススメはしません。だって、責任持てないもの……

 風も弱く「気分爽快!」なひとときで、「ファイト、一発!」にはならないと思いますから、一度是非!


大井川鉄道(Map)


 SLの運行時間とタイミングが合い、道の駅「川根温泉」脇の赤い鉄橋で待機します。
 大井川鉄道のSLはサービス満点で、機関車は見えなくても「遠くで汽笛を聞きながら♪」の煙と汽笛が徐々に近づいてくる高揚感には、しびれるものがあります。
 入浴施設から人も出てきますし、運転手(機関手が正しいか?)も見せ場と心得ていて、橋の上では汽笛も煙も大サービスでアピールしてくれます。
 「久しぶりなの〜」と涙ぐむおばあさんの蒸気機関車に対する郷愁には、時代背景を含め複雑な思いがあることでしょう。
 わたしはガキ時分に八王子駅で汽笛を鳴らされ、飛び上がって驚いた印象があります(八高線の機関車だったか?)。

 「キターッ!」の瞬間からあっという間ですが、迫力ある走りには「カッケー!」とほれぼれしますし、郷愁感を持たない若者に人気があることもよく分かります。


旧東海道  金谷坂石畳(Map)

 一般的に石畳は歩きやすさのためと思うも、ここは丸い石が並び凸凹なため運動靴でも歩きづらかったりします。
 付近は「青ねば」という滑りやすい土壌のため、凸部の土に触れない部分が重要だったのかも。

 ここを荷車が通ったのか? 飛脚は走れたのか? の疑問は、現代の時間尺度に生きる者の考えで、時間にとらわれない当時の人々は、あせることなく苦労を楽しみながら坂を上ったのでは、と思ったりします。
 「あの坂? そりゃぁ、てーへんだったぜ!」の苦労自慢は、誰もが同じ道を通るしかない時代の、皆に通じる話題として楽しめたのかも知れません。


島田宿  大井川川越(かわごし)遺跡(Map)


 徳川家康は東海道の整備に際し、大井川、安倍川など6河川の架橋・通船を禁じます。
 東海道最大の難所とされた大井川越えでも、川越(かわごし)人足の手を借りる必要があり、ここは川越衆の拠点を復元・保存する地区になります。

 現在の堤防と比べると田んぼのあぜのような当時の堤防付近で、足止めされた人々の姿を想像すると、映画『雨あがる』(小泉堯史監督 2000年)の絵が浮かんできます。
 お金で時間を買って目的を達成する現代人と、川が渡れるまで待つしかない侍の時間の過ごし方には大きな違いを感じますが、時代ごとにある制約の中で時間を楽しもうとする意欲があれば、時間の価値は変わらないはず、と思わせてくれた気がします。


蓬萊(ほうらい)橋(Map)


 この橋は東海道から少し外れた地に1897年(明治12年)に架けられ、現在ギネスに世界最長の木道歩道橋(897m)として認定されます。そこを往復独り占め! したつもり。

 ここが映画『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督 1980年)の三途の川!(ロケ地)
 いまさらと思うも、調べるとたくさん出てくるのでうれしくなります。
 映画は、精神を病んだ男の「生と死」をめぐる非・常識的ストーリーなので、観賞してピンと来なかった人への解説は難しいかも知れません。
 六文銭(三途の川の渡り賃)の価値は分かりませんが、上の橋は100円で冥土へ渡り戻ってこられます。
 先も見えない橋にワクワクと歩を進める心境には、久しぶりの「清順ワールド」に身を投げ出す快感があります!
 その説明も難しいし、冥土とは「未知なる地」でいいようにも思います。


 この日の宿は焼津にとり、食のテーマである「焼津のすし屋」へ。
 これまで各地で薦められどこもNGだった太刀魚ですが、塩味であぶったものを出してもらい、初めてうまいと思わせてくれます。
 単身赴任の彼に教えてもらった日本酒も楽しめました。
●磯自慢─吟醸:お酒らしい味を楽しめる
●喜久酔(きくよい):すっきりしているので、つまみながら飲むにはこちら!

 酒も肴も満足し文句ないばかりか、値段の高さも経験させてもらいました(東京もんが調子に乗ってましたし……)

 上は翌日の新金谷駅発車前の絵で、蒸気機関車の旅に盛り上がるジジ・ババたちが群れています(遠足の子どもたちのよう)。
 外からは見ましたが、やはり乗らなければ話しになりません。次は是非汽車の旅を!

2013年10月7日月曜日

記憶をつないだ──登呂遺跡・三保・丸子

2013.9.24
【静岡県】


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登呂遺跡(Map)


 前日の晩、静岡に単身赴任中の友人と飲み、近ごろ売り出し中(?)の「静岡おでん」を薦められます。
 黒いつゆで煮込まれた姿は、関西の方が関東のうどんつゆを見た驚きに近いのでは? 味は東京と名古屋の中間とのこと。
 具にもはいる黒はんぺんはイワシ等の練りモノで、愛媛のじゃこてんにも似たつまみにもってこいの具材です。
 もうひとつ驚いたのが「静岡割り(しぞ~かわり):焼酎のお茶割り」で、最初は懐疑的でしたが、「これあり!」と気に入り最後までおかわりしました。
 こんなにお茶を飲むと眠れなくなるのでは? と思うも、同じだけ酒を飲んでいますからそれは余計な心配で、グッスリと……


 酒の席で、小学校の社会見学で登呂遺跡まで来た、の話題になります。
 「隣県でも遠かった印象がある」「何でここまで来たのか?」
 当時までに発見された遺跡は数多くあっても、建物を復元する遺跡の先がけだったのか? 単に行き先選定会議で、社会の先生案が通ってしまったのか?
 当時の記憶は皆無なので歩いてみても、ガキ時分に登呂の火起こし像を目にしたらしばらく盛り上がりそうですが、火起こし体験とかしたのかなぁ? 程度でした。

 上は、近くの小学生が秋の虫採集に走り回る様子ですが、付近で久しぶりにシオカラトンボを目にしました。トンボは湿地や田んぼに生息するので都会ではなかなか……


 この遺跡は海も近いが川沿いに作られた集落と知り、静岡の彼が感じた「静岡県民の地元意識の強さ」のルーツは、河川ごとに生活圏が発展した「川文化」によるものか?(大きな川の間は山に隔てられている)と思ったりします。
 学生時代の富士川団体研究会(地質調査)で静岡出身の先輩同士が、「オイ、焼津の〜!」「何だぁ、島田(地名)野郎!」と、いがみ合っていたこと思い出しました。
 ライバル視して競い合いながら発展してきた、ということかも知れません。


三保の松原(Map)

 三保に向かう道すがら日本平に上りましたが、富士山方面が雲に隠れてしまうと「ハィ、それまで〜よ!」と困ってしまい、写真はありません。


 上は2010年3代目羽衣の松とされた木で、2代目からは50m程度内陸側に位置します。
 三保の松原海岸では砂浜の浸食が進んでおり(安倍川開発が原因とされる)、静岡県が海岸保全事業を行っています。
 せっかく世界遺産に含めてもらったのですから、死守でなく広げるくらいの意欲で取り組んでもらいたいが、河川の洪水防止策が優先なのは仕方ないところです。

 右の御穂神社参道は、三保の海岸まで500m続きます。
 目にした瞬間、大学卒業を迎える正月に静岡の彼+1名の友人と、初日の出を見に来た際に「3人で歩いた!」記憶がよみがえりました。
 何でその3人なのか、何でわざわざ三保の松原まで来たのかまるで覚えていませんが、思い出作りとすれば成功だったようです(日の出は拝めた記憶がある)。
 今ではあり得ません。若いって素晴らしい!

 岬先端の海岸には、路面ガタガタの飛行場があります。
 静岡県と赤十字飛行隊の訓練飛行場で、右の薄汚れたトラックが管制施設らしい。
 赤十字飛行隊は、日本赤十字社が行う災害救護、人道援助等に派遣されるので、予算云々よりも路面ガタガタの滑走路での離着陸訓練が必要? と思ったりします。
 平地の少ない日本で有効なヘリコプター等は、主要空港に基地を持つそうです。


 もうひとつの「覚えてる!」場所は、交差点の「折戸」という地名です。
 上のマリーナは以前製紙工場向け木材の貯木場で、海底に木くずがよどんでおり、周辺の「曝気(ばっき)調査:水に酸素を供給し水中微生物の活動を促進させる浄水処理法」のアルバイトで訪れた際の記憶です(奧にパルプ工場)。
 海中に沈める機材の上げ下ろしでぬれた作業服の臭かったこと……
 見違えるような光景を目にすると、少しは役に立てたような気持ちになれますし、自己満足ですがそんな確認は重要だったりします。


丸子(まりこ):旧鞠子宿(Map)

 ここも静岡市内(静岡市は広い)で、旧東海道の面影を残す場所が点在しますが、主要道のバイパスが整備されるため、脇道(旧道)に入りにくかったりします。
 勉強不足で何も見られないも、芭蕉の句、弥次喜多道中、広重「東海道五十三次」に登場する、丁子屋(ちょうじや)の「とろろ汁」にありつけました。
 おひつに入ってくる麦ご飯は、広く大きめの茶碗に3杯分ありますが、とろろもたっぷりあるので「こんな満腹感久しぶり」までサラサラっと入ります。
 「味噌を使っています」の説明のように口当たりがよく、この地域は自然薯(ヤマイモ)に恵まれるそうなので、間違いないでしょう!


追記──国民体育大会 in 東京

 
 現在東京で開催される国民体育大会の「なぎなた:薙刀」競技会場とされる、港区スポーツセンターをのぞきました。
 3人で戦う団体戦で、有効打突の2本先取を競います。
 剣道の、面・小手・胴・咽喉部に加え、脛(すね)を狙うことから、実践的な武器だったことがうかがえます。

 入場料を取らず自由な観戦を促す姿勢は、スポーツと身近に接する機会を与えてくれ、国民体育大会の名にふさわしい取り組みと感じます。
 国体とはいえ東京での開催は54年ぶりだそうで、2020年東京オリンピックも56年ぶりとすれば、もっと盛り上がらねば!

2013年10月3日木曜日

富士山麓水の恩恵──三島・富士

2013.9.23
【静岡県】

 静岡県は、接する神奈川県育ちのせいか「いつでも行ける」意識から、富士・伊豆周辺以外は後回しとなっていました。
 品川〜三島はひかりで30分程度の近場感が逆に、近くて遠い場所としたのかも知れません。


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三嶋大社(Map)


 三島で最初に染み込んできたのは「豊かな水」の印象で、富士山から流れ出た「三島溶岩」は先端の地に、堅固な地盤と伏流水の恵みをもたらしました。
 豊かな湧水が人々を呼び寄せたようです。

 源頼朝(伊豆流刑時)に盛り立てられ信仰を集めた三嶋大社では、全国に認知された「三島暦(ごよみ)」編さんのための天文台が設けられたそう。
 三嶋大社の門前町から東海道の宿場町として栄え、良質な水を必要とする工場(東レ、東芝、オムロンや、裾野・御殿場にある工場関連企業)の力で、新幹線駅を誘致したようです。

 町には品の良さが感じられるものの道が狭いため、最終日(金曜日の夕方)の混雑には閉口させられました。


柿田川(Map)


 ご存じのように、地下溶岩の中を流れる富士山麓の雨水を水源とする、日本三大清流(長良川、四万十川)とされる清流ですが、全長1.2kmの先で狩野川に合流します。
  国道1号線脇の場所柄には驚きましたが、溶岩に守られた地下水は周囲の影響を受けない様子が絵から伝わると思います。


 右の人工物は、以前この地にあった製紙工場のくみ上げ施設で、一時は排水による水質悪化で魚も住めない状態だったと。
  1980年代から地元有志による工場移転運動や清掃活動が行われ、カワセミ等も生息する環境が再生されます(現在では東京でも見られますが)。
 市街地で自然の恵みに接することができるのは、郷土の誇りとして胸を張れます。


沼津港魚市場(Map)


 昼食は「沼津港で桜エビ!」と気合いを入れるも、連休で盛り上がる人たちが押し寄せ、交差点から港に入れない大混雑。
 ですが市場関係者も慣れたもので、市場周辺のスペースを全部観光駐車場に解放して、対応してくれます。
 いくら人が出ても、ご当地の「桜エビ」「シラス」「金目鯛」あたりにターゲットを絞れば、満足感を得られそうです(イメージは無かったが、マグロもあるようです。冷凍ですもの…)。


 上は一本入った通りですが、この裏の通りも店舗建設中の「イケイケ!」とは、うらやましい限りです(東京圏の来客も期待できる絶好の場所柄)。
 わたしを含めて「満足感」が口コミで広まりますから、期待を裏切らない限り今後も活気が高まりそうです。


田子の浦港(Map)


 高度成長期には「田子の浦=ヘドロの海」の印象が強く、ゴジラやウルトラマンにヘドロ怪獣が登場した時代がありました。
 豊かな富士山麓の水を求めて集まった工場群は健在で、一帯の絵から小学校で学んだ(?)「太平洋ベルト地帯」の響きがよみがえります。近ごろは「ベルト」に「地帯」の意味が含まれるため「地帯」を省くらしいが、今さら記憶の修正はできません。
 三つ子の魂のように、ガキ時分に接した公害の負のイメージは払しょくできませんが、現在の富士市内商店街の活気には工場群が不可欠であること、よく理解できました。


 郊外に並ぶ工場の中に「平家越え」という場所(石碑と橋)があります。
 伊豆で挙兵した源頼朝(1180年)と、その追討に向かう平家軍がにらみ合ったのが富士川の地でした。
 しかし、平家軍は川から飛び立つ水鳥の音を夜襲と勘違いして、戦わずに敗走します(「おごる平家…」転落の序曲)。

 富士川河口付近には現在も細い水路が残されていますから、それらを束ねて河口州とすると、広大な湿地帯が広がっていたことになります。


富士川河口(Map)


 鎌倉時代の富士川河口は田子の浦港付近らしく、富士川の渡しは現在の富士駅北側辺りとされます。
 江戸時代以前には、渡し船賃はタダ(街道を整備した源頼朝が徴収を禁止)という、交易推進策(?)があったようです。

 学生時代に、所属学科有志等による「富士川団体研究会:地質研究を目指す集まり」に何度か参加したことがあります。
 「観察する目」を教えてもらったと感謝していますが、記憶に残るのは、ずぶぬれになって滝を上ったこと、宴会で騒いだこと、と言ったら諸先輩に怒られそうですが、もうあんなことはできません……
 


追記──連続テレビ小説「あまちゃん」終了

 楽しい半年でした。
 キョンキョン大爆発!(ケツをまくった役、やりたかったんだろうなぁ〜)
 どこを切っても、とぼけたカワイイおばちゃん、薬師丸ひろ子!
 キレイな「ばっば」宮本信子さん。(特に八木亜希子の笑顔は忘れられない)。
 どのキャラも痛快で、出演者全員から演じる楽しさがあふれ出ていて、めざましタイマーのテレビからテーマ曲が聞こえると「パチッ!」と目覚めたものです。

 音楽も見事でしたが、特筆すべきは原作・脚本の宮藤官九郎(クドカン)の力です。
 伏線より強い力を持つ「前に見た状況」を繰り返すことで、以前感じた「見る側の思い」を引き出し「今度は違うのか?」とテンションを高めて、「時間」と「状況」の違いを表現する説得力には舌を巻きました。
 演出への注文が多かったというか、ほとんどクドカン的演出だったのが勝因でしょう。

 注目される被災地への視線は、夏ばっばの「おかまいねぐ」に集約されているように感じます。
 その言葉には、悲しみ、苦難、不安を乗り越えようと自分を叱咤する「心意気」や、感謝の気持ちが込められているのであろうと……

 ファンでない人もよろこんだ楽天イーグルスの優勝もあり、今年のMVPはマー君か、クドカンか悩むところです……