2011年9月26日月曜日

豊饒の地──渥美半島

9月14日(水)
【愛知県】

 ひと月遅れの夏休みが取れたので、前回がいつか忘れてしまうほど久しぶりに「旅の続き」が実現しました。目的は、紀伊半島の志摩(鳥羽)から「海道をつなぐ」ことになります。
 豊橋を拠点に、渥美半島、神島、佐久島を歩く二泊三日(9月14日〜16日)の三河湾周遊ですが、はしゃいで写真を多く撮ったので、3部構成にする予定でいます。


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田原城跡(Map)

 豊橋駅から車で渥美半島を目指すと、臨海の工場地帯の先に蔵王山が見え、その奧には同様に急峻な斜面を持つ山が続きます。
 渥美半島には勝手に、なだらかな丘陵地のイメージを持っていましたが、見聞の大切さを思い知らされるスタートとなります。
 その山のふもとに豊橋鉄道渥美線終点の三河田原駅と田原市中心部があります。


 田原城は、1480年室町時代の武将戸田宗光(八幡太郎義家の子、義隆を祖とする森氏支流の源氏)により築城されます。
 応仁の乱(1467〜77年:京都を焼き尽くし、戦国時代突入のきっかけとなる室町幕府管領家と有力守護大名の争い)で、西軍として活動するなど勢力を強めます。
 戦国時代になると、北からは松平広忠(徳川家康の父)、東からは今川義元など、有力武将から圧力受けたため、1545年戸田康光は娘を松平広忠の側室に差し出し従いますが、一方で今川家にも従属の姿勢を示します。

 岡崎城松平家は、1547年織田信秀(信長の父)に攻め込まれた際、駿府城(現静岡)今川義元に援軍を求めますが、条件に人質を要求され、6歳の竹千代(後の家康)を送ることとします。
 竹千代を駿府まで送る任を負った戸田康光は何を思ったか、松平家・今川家と敵対していた尾張の織田信秀のもとに竹千代を届け、離反します。
 後の家康の言葉に「竹千代を1千貫で売り払った」とあるそうですし、怒り心頭の今川義元に田原戸田家は滅ぼされます。
 竹千代は後に、今川軍に捕らえられた織田信広(信長の兄だが側室の子)との人質交換により、今川の元に戻されます。

 戦国の世を生き延びるための選択なのか、織田家との密約が家康の言うように「金」であったとしたら、滅びて当然という気もしますが、戸田家としては松平家・今川家どちらも選択したくなかったとすれば、どの道先が無かったようにも思えます。

 上写真は、本丸付近にある巴江(はこう)神社に併設される富多満瑠稲荷(フタマル=富がたまる)で、地理的にも近く有名な豊川稲荷(未訪問)の流れか、付近は鳥居を連ねたお稲荷様が散見される土地柄のようです。
 右は、城門近くにある福祉学校の校舎。


渥美半島(Map)

 上述の戦国時代、渥美半島の付け根付近はかろうじて陸続きのような湿地帯で、築城には向いても農耕には向かない地域でした。
 現在では大規模な埋め立てが行われ、トヨタ自動車の工場や搬出港となり、大型の輸送船が出入りする海外展開拠点としてにぎわう様子が、蔵王山展望台から見ることができます。


 温暖な気候であるこの一帯では稲の収穫が進んでいるも、紀伊半島で土砂崩れのせき止め湖ができた台風12号の影響でしょうか、稲はみな風で倒されています。
 訪問直後に列島縦断する台風15号が襲来しますが、大丈夫だったろうか?

 ここは地図で目に入った大きな貯水池「芦ヶ池」付近で、そのほとりには、農業をテーマとする体験型の公園「サンテパルクたはら(田原市芦ヶ池農業公園)」があります。
 「サラダ館(農林漁業体験実習館)」「体験農場」「サンテファーム(市民農園)」等、花や作物を通じて農業を体験できる施設で、豊かな地だから実現できたテーマパークの印象があります。


 芦ヶ池水門付近には「豊川用水」の看板があり、学年は思い出せなくとも「教科書で習った」記憶がよみがえってきます。
 豊川用水(とよがわ)は、愛知県豊橋市周辺の東三河地域、渥美半島や、静岡県湖西市に整備された用水路で、豊川および天竜川水系から取水する大規模な農業水利事業です。
 最初の発案は田原市出身者によるそうで、インドネシア視察で目にした農業水利事業から、豊川上流にダムを建設し、そこから東三河地方に導水しようと考え、地元や国に働きかけて実現にこぎつけます。
 1949年(昭和24年)国営事業として始まり、水道用水や工業用水への供給を含めて1968年に完成します。


 当初の計画からかなり膨らんだと思われる農業用水確保事業は、山地のダムだけなく、海に突き出た半島側の貯水池からも水を供給することで、無理なコストをかけずに農地を潤しています。
 東京近郊では玉川上水や近所の二ヶ領用水等、当初の使命を終えた遺構的な存在が多いものの、現役として大地を潤し活気ある農地を支える存在を目にすれば、教科書では教えられない実感として学ぶことができます。
 平地に広がる田畑が放つ豊饒の輝きは、豊川用水というキーワードと共に心に刻まれました。


 上写真は半島先端近くにある「初立池(はったちいけ)」で、この時の水位は低く展望台の足が露出しています。
 この施設を含めて一帯にはかなり力が入れられており、実用+園地利用を目指そうとする姿勢は間違いではないと思いますが、そんなにお金をかける場所なの? という気もします。
 豊かな自治体のおごりが見えた気がしますし、無駄なくして文化は生まれない、は確かでも、そんな「すき」が人間らしいと言えるのかも知れません……


渥美火力発電所(Map)

 渥美半島先端部の海岸線は鉤(かぎ)状になっており、先端の伊良湖岬(いらご)とその返し部分に当たる立馬崎に灯台があり、後者付近に発電所の紅白煙突が2本そびえています。
 現代農業では水はもちろん電気も必要ですから、発電所が必要なことも確かです。
 半島の太平洋側は国内屈指の電照菊生産地で、植物園の温室のようなグラスハウス(開花時期を遅らせるため、夜も光を当て日照時間を長くする)が軒を連ねています。
 これからの季節、立ち並ぶハウスが夜遅くまで光を放つ情景は地域の名物とされます。
 それだけ電気を使う地なので、発電所建設に文句を言う人はいないにしても、景観を楽しみに訪れた者には目についてしまいます。
 それは地元の「景観保持よりも大切」との判断ですから、その姿を受け入れるしかありません。


 農地が広がる海岸線にポツリと火力発電所があっても役に立たないわけで、燃料受け入れ用の港湾施設やパイプラインがあります。
 タンカーがいたのでは施設修繕の溶接も危険でできないのでしょう、空いた時間を狙った整備作業の音や声があちこちから聞こえてきます。
 また、油は流れてないのに映画などで目にする「シュー!」というガス抜き(?)が継続されています。
 油への引火を防ぐ対策と考えると、パイプラインの内側などは油だらけでしょうし、油を取り扱う施設では常に行われているのかも知れません。


恋路が浜(Map)


 ここは伊良湖岬から太平洋側に続く砂浜で、名の由来としては、江戸時代の和歌に「恋路ヶ浦」と歌われたことや、「高貴な身分の男女が許されぬ恋がゆえに都を追放されこの地に暮らした」いいつたえにちなむとされます。
 そんな響きの良さからか「恋人の聖地」とされ、近ごろはやりの鍵をかける施設があるそうです(未見)。

 田原市のホームページでは、恋路ヶ浜は4つのジャンルで「日本の百選」に選ばれると自慢げです。
 海辺を通るサイクリングロードは「日本の道百選」、砂浜は「日本の渚百選」、そこに続く松林が「日本の白砂青松百選」、潮騒が「日本の音風景百選」に、それぞれ選ばれたそうです。
 上写真は日出の石門付近の斜面で、強い風に波しぶきが舞い上がる様子(左側で分かる程度か)。


 島崎藤村の詩「椰子の実」が、この地を訪れた柳田國男の話を元に書かれたことは有名ですが、実際の実験で石垣島から流したヤシの実がこの浜に流れ着いたそうです。
 キレイな砂浜ですし、太平洋の広さと荒波を体感できるロケーションなので、人気があることは十分理解できます。
 ですが、名前の由来から考えると「不倫の聖地」(隠れ家的場所)とした方が納得しやすい気もします……

 宿の夕食は「海鮮バイキング」で、地元で捕れた魚の刺身が4〜5種並んでいます(鯛の仲間もいた)。
 出荷できないサイズだとしてもその新鮮さには「うわっ、プリップリ!」の舌鼓で「瀬戸内海を思い出す〜!」と、久しぶりに海産物本来のおいしさを堪能しました。
 三河湾の名物らしい「大アサリ」(巨大アサリの表記も)は登場しませんが、普通サイズでも焼いておいしいし、赤だし(名古屋周辺は赤みそのみそ汁)にアサリのダシはベストマッチで、海の幸には大満足させてもらいました。
 地産地消にこそ、美味しさとありがたみが感じられます(写真はホテルの部屋から)。

 地質学でいわれる中央構造線(日本を沈没させる規模を持つ? 大断層。→リンク先は映画『大鹿村騒動記』の舞台である「大鹿村中央構造線博物館」)沿いに点在する山の周辺に堆積した砂地が伸びる半島のため、地味(ちみ)が乏しく(土地がやせている)水源が無かったため苦労が耐えなかった土地ですが、豊川用水整備のおかげで「豊饒の地」となりました。
 気候は温暖ですし、海の幸にも恵まれていますから、東海地震が永遠に起こらなければ楽園のような土地に思えました。
 地震は日本全土で起こりますから、最大限の対策をして生活していくしか無いことだけは確かです(台風も気をつけなければ)……


 追記
 途中で脱線できなかったのでここに追加しますが、映画『大鹿村騒動記』で故原田芳雄が営む「ディア・イーター」(シカを食べる人)の看板を掲げる食堂の建物が、実際の食堂としてオープンしたそうです。
 そのシャレに是非乗っかりたい! ところです。

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