2012年10月10日水曜日

鉱山開発の功と罪──神岡、古川

2012.9.25
【岐阜県】──飛騨の道 ③


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白山(Map)


 前日目にできなかった白山の姿を求め、直下にたたずむ白水湖へ(ダム湖)。
 水辺からは望めませんが、途中の道からチラッと見えました。山の名称は不明ですが白山連峰と思われます。
 湖畔に「白山登山道」の案内があり、ここからだと直なので険しそうですが、10人程度のグループが支度をしています。お気をつけて……


神岡:スーパーカミオカンデ(Map)

 実物の見学はできずとも、どんな場所にあるのか一度訪れたいと思っていました。
 内部見学できるのは「GEO SPACE ADVENTURE:地中1,000mの探検イベント」だけで、本年は7月14日・15日に開催されましたが、抽選の倍率はかなり高そうです。
 下は道の駅に作られた模型ですが、お近づきになれた気がするし、現物内部をイメージする助けとなります(ウォ〜と声を上げてしまいます)。


 ここは、旧神岡鉱山内に東京大学宇宙線研究所が建設した、ニュートリノ検出装置です(カミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略)。
 ニュートリノとは、素粒子(物質を構成する最小の単位)のひとつで、質量がとても小さいため確認が困難とされていました。
 1987年大マゼラン星雲の超新星爆発で生じたニュートリノを世界で初めて検出し、その功績により2002年小柴昌俊先生はノーベル物理学賞を受賞します。
 当時はカミオカンデという第一世代の施設でしたが、今後は現行の20倍規模のハイパーカミオカンデ構想があるそうです。

 以前、分からないながらも「科学朝日:現在廃刊」を、ワクワクしながら読んでいたことを思い出します……


 この鉱山は明治期から三井組(三井金属の前身)により、近代的な大規模採掘がされたためか、Wikipediaやその他のサイトにも三井系の力が及んでいるようで、まるでロマンのない記述しか目にできません。
 ここでは今回の旅の書、司馬遼太郎『街道をゆく 29』(飛騨紀行)の表現をお借りします。

 マルコポーロの『東方見聞録』で「黄金の国チパング」として世界の注目を集めた時代、「日本では金を拾っていたのである」(省略あり)。

 当時は鉱山開発の技術はなく、観光施設などで目にする「川砂から砂金を見つけよう!」的な手段で、「黄金の国」のイメージを作り上げたことになります。
 鉱山開発時点では、金・銀・銅が関心を集めますが、取り尽くした後に、まだ亜鉛・鉛があると開発を進める過程で、公害問題を起こすことになります。

 目の前は日本海側に流れ込む神通川で、下流域にカドミウムが原因の、富山「イタイイタイ病」とされる大規模な公害病を引き起こします。
 もちろん三井金属のサイトには記述は見当たりませんし、探す気にもなりません。
 その点を司馬さんは「あたらしい方法は、公害をともなった。というより、公害を封じこめるまでの技術体系をもっていなかった。」と冷静に表現します。
 震災の原発事故も、過去(公害被害)に学ぶ姿勢が欠けていたために、手に負えない事態を生み出したということになるのでしょう……

 
 入れずともスーパーカミオカンデへの入口を見つけたいと、道の駅のお姉さんに教えてもらった「東茂住」で、工場施設の交通整理のお兄ちゃんから「トンネルはもっと手前」と聞き、大きな「宇宙科学最先端の町」の看板がある集落のお寺に車を止めます。
 『街道をゆく』には、上の鐘楼がある「金龍寺」は神岡鉱山を開いた茂住宗貞(もずみむねさだ)の屋敷跡とあります(事後確認なので、このお寺に引かれた理由を納得)。
 右の赤い屋根の上の施設が、スーパーカミオカンデへの入口ではないか? との推測に満足してこの地を後にします……


古川(Map)

 多くの人は飛騨の名から「高山」を想起すると思いますが(竜鉄也『奥飛騨慕情:1980年』の人はいませんよね?)、現在では飛驒市役所は古川にあり、高山は高山市に区分されます。
 古代飛騨地方の中心はこの地とされ、飛騨国府(国の機関が置かれた地)の駅名は現在も残ります(国府の遺跡は発見されていない)。


 この地には縄文時代中期(約5000年前)の遺跡が多く発見され、5世紀ころには大和政権の支配下に入り、古墳が築かれたそうです。
 しかし特産物は特になく納税できないため、品物の替わりに都の造営工事に携わる人足を差し出し、建築・木工に携わる職人が世代を重ねることから、「飛騨の匠」が生まれたとされます。


 町の一角には現在も水路が残り、周囲に古い町並みの景観も保存されるので、人気の高い地域のようです。
 町を愛する意識から守られたであろう、町屋的建物や門前の飾りなどからは、この地で生活する人たちの襟を正した暮らしぶりがうかがえるような気がします。


 古川では通りに面した玄関先を「キャンバスと考えているのか?」と思えるほど、さまざまな趣向を凝らしているので、見て歩くだけで愉快になってきます。
 上の、まん中の柱だけ赤く塗る演出は、前面に赤い車を配することを含めた意匠なのでしょう。やるならここまでやらないと、というアピールです。
 新しいデザインは、シックでも浮いてしまうようで、やはり伝統的な建物に「ひと工夫」のアピールが印象に残ります。

 大きな蔵は維持管理も大変でしょうが、その大きさの分だけ町では名士としての存在感を示すことができるのでしょう。ならば、手入れは欠かせないものになります(ここは酒蔵)。
 この町のかつての豊かさは、神岡鉱山の恩恵だったことでしょう。

 付近を流れる宮川では、「やな:木や竹で作った傾斜のあるすのこ状の台」で川をせき止めて魚を捕る「やな漁」が行われます。
 テレビなどでは、やなの上でアユなどがピョンピョン跳ねている絵を見るのですが、どこにも見当たりません。
 ずっと設置してあれば、魚だらけという気もしますが、素早く捕らないと流れに戻ってしまうのかも知れません……


追記──iPS細胞研究の第一人者、山中先生がノーベル賞を受賞しました。

  選考委員に「革命的研究」とまで言わしめた研究は、まさに「夢が広がる」可能性に満ちています。
 ですが彼は、まだ何も成果を生み出していないと、一刻も早く患者の声に応えたい心の焦りを口にします。
 目標である人類全般の助けとなることを夢見ながらも、まったく新しい技術だけに、研究費を提供してくれたスポンサーへの恩返しのためにも、早期の特許取得が直近の課題なのかも知れません。
  ちょっと現実的過ぎましたが、「一日早ければ、何千人もの命を救える!」の使命感に突き動かされているとストレートに表現するところに、大学では「医学部ではなくラグビー部」とされた体育会系の分かりやすさがあり、応援したい気持ちにさせられます。

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