【岐阜県】──飛騨の道 ④
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高山(Map)
高山市は2005年の合併で、日本で最も面積の広い市町村となりました。香川県・大阪府より広く、東京都とほぼ同じ面積ですが、92%近くは山林という土地柄です。
岐阜県出身の知り合いのもうひと方は、「田舎度自慢では負けない!」と胸を張る上宝村(奥飛騨温泉郷周辺)出身者です。この合併で高山市出身と言えそうですが、「だからって、ド田舎が都会に変わる訳じゃないんだよ!」なんて声が聞こえそうです。
この地域は飛騨山脈の北側に位置する(太平洋と日本海の分水界の日本海側)ため、おのずと富山県側との経済・文化交流が盛んになります。
その土地柄の良さを感じたのが、新米のおいしさです。
水のいい富山・岐阜のお米を食する地域なので、地産地消のプリップリ感に「うまっ!」と、目が飛び出るような至福感が味わえます。現地で是非!ここはご存じのように、江戸時代の城下町・商家町が残ることから「飛騨の小京都」と呼ばれ、人気の高い観光地です。
また、海外のミシュラン旅行ガイドで「3ツ星」を獲得したためか、外国人旅行者にも必見の観光地のようです。
旅行会社とすれば当然、世界遺産の白川郷と3ツ星の高山をセットにしたコースを設定しますから、ここも韓国からの旅行者がにぎやかになります。
ここ高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するための代官所・飛騨郡代役所で、当時の中心地になります。
幕府が直轄領としたかったのは、前述の神岡鉱山から産出する「金・銀の確保」ためですが、直轄領としたころには、既に生産のピークは過ぎていたようです。
上は、事前学習より実物の印象がよかった、屋敷の梁(はり)にある「釘隠し:釘を隠すための飾り」の真向兎(まっこううさぎ)です。
ルーツを「因幡の白ウサギ」にたどれそうな家紋があるそうです。
古い町並みにある、店舗と酒蔵間の敷地を中庭とした「お酒のテーマパーク」のような一画です。
きれいな杉玉(すぎたま:スギの穂先をボール状にしたもの)なので、旧来の習慣に従うものかも知れません。
本来は蒼々とたものをつるし、枯れ色の具合から新酒の熟成の具合を想像して、飲んべえたちが舌なめずりしたそうです。
酒好きでも旅行では車移動なので、飲み比べもできませんから、写真だけ撮って素通りです……
古い町並みを生かそうとするさまざまな工夫を目にしましたが、もしここに暮らしたら「こんな玄関にしたい」と思った光景です。
このツタの伸び方は、イメージしなければ誘導できません。今年はうまくいったのでしょうか? 「ベスト玄関賞」です。
高山といえば「日本三大曳山祭」のひとつ、屋台のからくり人形(起こりは江戸時代)が有名な高山祭で、10月9・10日に屋台が出る桜山八幡宮の秋の八幡祭が行われました。
この屋台は「動く陽明門」とされますが、日光東照宮「眠り猫」の作者と学んだ「左甚五郎」は、現在では一人でなく各地の腕自慢の工匠たちの代名詞ではないかとされています(司馬さんは代々続く「飛騨の匠」ではないかと解いている)。
旧上宝村出身の方も誠実で、指先の器用な方です(飛騨の匠?)。(上は高山祭屋台会館、祭りは未見)
屋台の重さを想像できる、屋台庫前の車の道。
さすがの気配と思うも、「道に出すまでが大変なのよ!」の声が聞こえそうな気がします……
遠くから尖塔部を目にして立ち寄った、高山市図書館「煥章館」です。
明治初期、同地にあった小学校「高山煥章学校」の再現だそうで(フランス風建築とのこと)、匠たちは新しいもの好きで研究熱心だったのかも知れません。
いま見ると、尖塔部は屋台の上部に似ている気がします。
上の外観よりも、図書館にお金を掛ける自治体の姿勢に感心させられました。
雪深い季節が長い場所柄ゆえ、屋内で快適に過ごせる公共の場を求める声にきちんと応えています。
施設内容は詳しく分かりませんが、冬場を屋内で過ごせるのは温泉だけでなく、文化施設もあるならば、「雪の季節も案外楽しく過ごせるかも?」と思えてきます……
この日の昼食は話しの種に「飛騨牛を食べる!」と、気合いを入れて向かった店の営業は夜だけで入れず、次の店は「休業」と悪い日にぶつかり、途方に暮れて走りながら目に入ったのが、飛騨高山美術館の案内でした。
値段なりにおいしくいただきましたが、大ふんぱつして食べた近江牛のおいしさとは比較になりません。
思うにそれは価格の差=肉のランクの差と思われ、各地の最上級とされる肉の食べ比べをしたなら、きっとどれも甲乙つけられないおいしさなのでしょう。
一度そんな食べ比べをしてみたいものです……
アフターコーヒーは一服できるガーデンに移動すると、北アルプスの笠ヶ岳・穂高岳の稜線(りょうせん)がクッキリと広がります。
そんな景色を眺めながらの一服は格別です(煙草じゃなくて、空気を味わえよ!)。
ガキ時分は、神奈川県大山の山並みを見て育ちますが、北アルプスの険しい稜線を見て育った人には、甘っちょろいと言われそうな気もします。でも人が育つ環境はさまざまで、人格形成を支えてくれた郷土の比較はできません。
この美術館は、ガラス工芸品やアール・デコ(装飾品)の展示なので、食事だけでゴメンナサイ。
駐車場の木々が色づき始めており、標高の高い地域の季節変化は足早のようです……
下呂温泉(Map)
有馬温泉、草津温泉とともに「日本三名泉」とされます(草津温泉行かなきゃ!)。
温泉街独特の「ほっこり感」はありますが、道が狭く、傾斜地のため、浴衣・ゲタでの散歩には向かない気がします(伊香保はどうするの? と言われそう)。
ならば浴衣に運動靴で、湯治客の注目を浴びながら露天風呂に入ろうではないか!
ここは、益田川の河原にある「噴泉池」とされる露天風呂で、湯だまり以外に何もない(脱衣所・風呂を仕切る壁もない)混浴も勝手にどうぞの無料施設。
そこはサルが勝手に入る温泉のような「ワイルドさ?」で、ごらんのように駅前通りの橋から丸見えです(何枚も写真撮られたので、見かけたら教えてください)。
2010年から男女とも水着の着用が義務付けられますが、じいさんたちの着替えの様子は公然わいせつ罪的な姿(全裸)だったりします。
「見せようとしてないんだから、見るヤツが悪いんじゃろ?」と、当たり前のように自然の姿で仁王立ちです(その姿が丸見えなの!)。
ここに入るために海パンを持っていきましたが、実に気持ちいい!
裸で人の注目を浴びるためか、入る勇気を持てない連中への優越感なのか、気持ちがスカッとして「ざまあみやがれ!」という気分です。
橋の歩道には多くの手形が埋められていて、駅側の一番目に「きんさん、ぎんさん(名古屋市生まれ)」の手形がありました。
驚きを含めお二人の姿が思い浮かんだことから、手形を残す意義を再確認しました……
肌が「トゥルッ トゥルッ!」になるような泉質をアピールできる施設ゆえ、これまで守られてきましたが、近年下呂温泉全体の温泉噴出量低下から、維持管理が難しくなっているそうです。入りたい方はお早めに!
上は最初に温泉がわいたとされる「温泉寺」。
地図で関心を引かれたのが、「上呂」「中呂」とセットで「下呂」があるということです(考えてみればありそうですが)。
おそらく「呂」は、川の流れの速い「瀬」のような意味で、飛騨川の流れの速さを表しているようです。
さぁ、次は草津温泉を目指しましょう!
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